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調べるお編集後記

調べるお編集部による編集後記やブログに書ききれなかった事などを。編集部と言っても一人ですけどね。

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情報の精査というのは今に始まった事ではなく、インターネットの有史以来続いている事なのかなって思った

一昨日くらいに「情報」について電車の中で考えていました。
(その一連のツイートはこちらのアカウントをご覧ください)


数年前にGoogleが「サーチウィキを始めたよ」っていうのがありました。検索結果表示をカスタマイズできる機能。いよいよ検索もパーソナライズかぁと思った記憶があります。それ以降、ChromeとかGoogle+とか、まぁGmailもそうなんだろうけど、パーソナライズ精度向上に向けての施策を積極的にやってきてるなぁという印象を持って数年が経ちました。

僕は検索のパーソナライズは凄く嫌なのです。情報を収集する際に意外性みたいなものがないとつまらないし、その意外性が案外重要だったりすることもある。なので優等生すぎるパーソナライズというのはおもしろくないなぁと思っています。

ただ、一方で爆発的に増えていく情報は膨大な数のノイズも産み出しているわけで、そのせいで、重要な情報にたどり着く事が難しいケースも多々発生しているのではないかと。「自分が欲しいと思っている情報」「意外性のある情報」以外が多すぎるわけです。そんな中、情報収集の窓口として長年に渡って君臨している「検索」というのが揺らいできている面もあるんだろうなぁと思うのです。

検索するという行為は割と難しいんですよね。あれは一種のスキルを要すると思うんです。そして情報が増えるに従ってその難易度も増してきている。もはや初心者向けのツールではないのかもしれない。そんな流れの中で検索側がパーソナライズ方面に向かっていくというのも納得がいくのかなと思ったり。とはいえ、検索というのは現状の形とは異なるかもしれないけど、生き残っていくのかな、当面は、って思っています。

そして検索以外の「情報収集」も世の中に提案され始めてきた。それがGunosyとかであったりするわけです。Gunosyの精度であったり、その他、まだまだ発展途上な感じはする。ていうか永続的に進化していくものなんだと思う。プロダクトの方向性というのは素晴らしいと思うんですよ。ほんとに。

先日、結婚についての話を友人としたのですが、「結婚相手候補をマッチングするサービスが出てきても良い。もっとパーソナライズされた情報をもとにして、マッチング率の高い相手候補が出てくるような。」と言っていた。人の心を見透かされるのは何とも嫌な気分になるものだけど、世の中的にはそんなに嫌悪感はないのかもしれないなぁ。それよりも便利で効率的なサービスを求めてるのかもしれない。

パーソナライズであったりマッチングであったり、そういった情報を精査する動きというのは最近始まったような気がしてたけど、実はそうではなくて、Googleなんて最初から情報の精査を目的にスタートしたわけだし、ひょっとしたらそれ以前からもインターネットというのは常に効率的な情報精査を主目的に発展してきているのかもしれないなって思った。


奥さんに「平社員なのに社長とばかり飲んでいるね」と言われました

ありがたいことに社長さんとかそれなりの方々と仲良くして頂いております。昨晩も6人中4人が社長、一人が界隈の有名人という布陣で些か萎縮しておりました。人見知りプラス萎縮ってもうダメですね。思わずカシスウーロンを一杯だけ飲んでしまいました。


社長、起業家の方々と話していると「僕も起業しようかな」と思ってきます。「選択肢の一つとしての起業」というのもアリだろうと思います。熱に絆されて「よし、自分も!」と思って実際にアクションを起こすってのはなかなか凄い。

でもなかには「起業しかありえない」という人もいるみたい。「俺がやらなきゃ、誰がやるんだ」とか「俺が世界を変える」とか「自分の考えが世界を救うはずだ」などなど、そういった信念というかある意味「啓示」のようなものを感じてる人達がいます。そういう人達の持つ熱量というのはすさまじく、ボンヤリ近づくと危ないw

個人的にはその「啓示」を感じ、熱が猛烈に上昇した人が起業をする方が良いと思っています。それを感じた時が唯一のタイミングなのかなって。

でも正解は無い。「啓示」を受けても成功するとは限らないし、選択肢として起業して成功する場合ももちろん多い。そもそも企業の生存率なんて物凄い低いのです。だったらそれなりの自分の中の起業のハードルは高めに設定しておいた方がベターじゃないかなぁと。


とりあえず、熱量がすごいなーってのと、みんなちゃんと考えているんだなーって思いました。


「検索」は”ヤンチャな辞書”であり続けて欲しい

某サービスの周辺からは「検索すら面倒な人へ」とか「全てパーソナライズする」などと聞こえてきて、「おぉ、言うねぇ」と思ったりしている今日この頃。
(※実際「検索すら面倒」というタイトルが付けられた記事において某サービスの人は一言もそんなことを言っていないので、掲載メディア側の「釣りタイトル」なので、あのままで中の人としてはいいのかな?って思ったり)

能動的に収集するよりも、もっと効率的に簡単にパーソナライズされた最適の情報を提供するって志は素晴らしいなと思うわけです。

とは言え、そんな便利になったら情報を能動的に見つけだす能力が失われてしまうのではないか?とちょっぴり懸念したり。僕は情報集の9割くらいを「検索」に頼っています。検索することによって能動的に情報を収集し、それによってインプットされる感じ。受験勉強の時、いちいちノートに参考書に書いてあることや、それ以外のことをコツコツと書いていかないと覚えられなかった。読んでるだけ、聞いてるだけでは覚えられなくて、手を動かさないと覚えられなかった。なんかそれに近い感じ。さらにブログ書けばもっと良いかも。

しかし、「情報をいかに効率的に収集するか」がキーワードにもなっている現代、「検索」という手段は非効率な気がする。検索結果は必ずしも的確ではないし、ノイズもある。そこが検索の楽しいとこなんだけど。

そんな時、Twitterで @semlabo さんが、「検索の弊害って記事を書こうかな」って仰っていて、気になりました。そしてその記事がコチラ。

検索は人間を退化させるのか? | SEM-LABO

とても興味深く、文中にあった辻さんのご意見もとても参考になりました。

「検索」はプッシュ型パーソナライズ情報サービスに比べれば非効率。ただ辞書をひくことに比べたら「検索」は便利。

【らくちん】パーソナライズ情報サービス>検索>辞書(本)>口伝【めんどう】

って感じかな。新しい何かが出ると「こんなラクしていいのか?」と思うけど、結局上手い感じで共存できるのかな?って思った。使い分けのバランスですかね。パーソナライズ情報サービスが「人間を次のレイヤーに引き上げてくれるもの」になるかは今後の性能向上次第だと思うけど、面白い取り組みだと思う。そして検索というものも現状では「知識の入口」としてすごく機能していると思う。本も未だに存在感は抜群。みんな頑張ってほしいところ。と、いつもながらの玉虫色の結論。


「検索」は”ヤンチャな辞書”であり続けて欲しいなぁって思います。