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調べるお編集後記

調べるお編集部による編集後記やブログに書ききれなかった事などを。編集部と言っても一人ですけどね。

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「検索」は”ヤンチャな辞書”であり続けて欲しい

某サービスの周辺からは「検索すら面倒な人へ」とか「全てパーソナライズする」などと聞こえてきて、「おぉ、言うねぇ」と思ったりしている今日この頃。
(※実際「検索すら面倒」というタイトルが付けられた記事において某サービスの人は一言もそんなことを言っていないので、掲載メディア側の「釣りタイトル」なので、あのままで中の人としてはいいのかな?って思ったり)

能動的に収集するよりも、もっと効率的に簡単にパーソナライズされた最適の情報を提供するって志は素晴らしいなと思うわけです。

とは言え、そんな便利になったら情報を能動的に見つけだす能力が失われてしまうのではないか?とちょっぴり懸念したり。僕は情報集の9割くらいを「検索」に頼っています。検索することによって能動的に情報を収集し、それによってインプットされる感じ。受験勉強の時、いちいちノートに参考書に書いてあることや、それ以外のことをコツコツと書いていかないと覚えられなかった。読んでるだけ、聞いてるだけでは覚えられなくて、手を動かさないと覚えられなかった。なんかそれに近い感じ。さらにブログ書けばもっと良いかも。

しかし、「情報をいかに効率的に収集するか」がキーワードにもなっている現代、「検索」という手段は非効率な気がする。検索結果は必ずしも的確ではないし、ノイズもある。そこが検索の楽しいとこなんだけど。

そんな時、Twitterで @semlabo さんが、「検索の弊害って記事を書こうかな」って仰っていて、気になりました。そしてその記事がコチラ。

検索は人間を退化させるのか? | SEM-LABO

とても興味深く、文中にあった辻さんのご意見もとても参考になりました。

「検索」はプッシュ型パーソナライズ情報サービスに比べれば非効率。ただ辞書をひくことに比べたら「検索」は便利。

【らくちん】パーソナライズ情報サービス>検索>辞書(本)>口伝【めんどう】

って感じかな。新しい何かが出ると「こんなラクしていいのか?」と思うけど、結局上手い感じで共存できるのかな?って思った。使い分けのバランスですかね。パーソナライズ情報サービスが「人間を次のレイヤーに引き上げてくれるもの」になるかは今後の性能向上次第だと思うけど、面白い取り組みだと思う。そして検索というものも現状では「知識の入口」としてすごく機能していると思う。本も未だに存在感は抜群。みんな頑張ってほしいところ。と、いつもながらの玉虫色の結論。


「検索」は”ヤンチャな辞書”であり続けて欲しいなぁって思います。


本当に変な人は、自分の事を変だと思っていない

有り難いことに、界隈の名の知れた起業家やら経営者やらと会う機会がちらほらありまして、その度に受け止めきれないくらいの衝撃を受けたりします。なんていうか、一種のアナフィラキシーショックのような感じとでも言いましょうか。僕みたいに「のほほーん」と生きてる人には刺激が強すぎる場合もあります。そういう時は、部屋を明るくして、その人を遠くから眺めます。


そんなこんなで、それを受けて、会社の人や友人などから「あの人ってどんな人?」と聞かれる事も多くあります。振り返ってみると、だいたいこんな感じで答えている気がします。

「なんていうか熱量が凄い感じがする。あと、やっぱり個性的というか、そういうとこあるよね」

なんて。

で、思ったのが、やっぱり一部の起業家とか経営者とかって普通じゃないんですよ。異彩放ってるし、個性的。やはりそれくらいじゃないと起業なんてできない。そんなに多くの人と会ったわけではないけど、やっぱり彼らにはオーラがある。オーラっていうか、そういうほのぼのしたものではないものがビシャーって出てる気がする。優秀な人でもそれが出てない人はいる。そういう人は官僚タイプだったり、参謀タイプだったりするんだろうな。

彼らの特徴として「自分は全くもって正しい王道を歩いている」と思ってるとこ。周囲からは「変わってるなぁ、個性的だな」とか思われていたとしても、本人は極端な話「周りがみんな変」だと思ってるふしがある気がする。それが使命感であり、ミッションであり。



そういえば、昔、何かのセミナーだか講習だかで「自分の事、自社の事を”変な”って形容したら終わり」みたいな事を言われて「確かに」と思った事があります。

『QIXIL』見てて、コミュニティ運営とリクルート社の共通点を感じたり

先週か先々週くらいからTL上でチラホラ見かける『QIXIL』ですが、僕も偉そうなことを書きたいのですが、招待制なので書き込めず・・・。メアドは登録したんですけどね。まぁ、よく考えたら偉そうな事を書ける身分ではないので、見てるだけでも参考になるしいいかなぁって思っています。

で、先ほどlang8Yangyangさんがツイートしてたので見てみた。


けんすうさんの意見はさすがに勉強になりました。2chの事例とか特に。

2chなどをはじめとした、長く続くコミュニティは、いかに古参を追い出すかというのは基本の施策としてやっています。
ひろゆきさんは、元々、都市設計の理論などをある程度意識して作っていたりしました。
要は、新陳代謝がないと、どんどん平均年齢があがっていき、活力のない都市になってしまったりする、というのと同じです。

なるほどなぁ。これはコミュニティサービスに限った事ではなくて、いろんな事でも同じ事が言えると思うのですよね。例えばサイトのリニューアルとかサービスの方向転換など。これまでの姿に慣れているとどうしても「なんでこう変更したんだ」という声が上がってきます。その際に「でも絶対に変更した方が良いサービスになる!」という強い意思とイメージがあれば断行すべきだと思うんです。そこがちょー難しいとこなんだけど。昨日読んだ藤田さんの本にも全編に渡って「上手くいくかはわからないけど、絶対に良くなると思ってやる!」ってのが重要ということが書かれてた気がします。


ところで、新陳代謝ってのは会社組織でも必要なことなのかなって思ったりしました。既存社員や古参社員を追い出すとかそういった事ではなく、組織活性化の一つとして新陳代謝的施策ってのは必要かもなって。新陳代謝が活発な組織では古参も「変化」が求められる。そうするといつまでもアクティブな組織になるのが想定される。

けんすうさんも藤田さんもリクルートイズムをどこかで継承してると思うんです。リクルートは社員がどんどん独立したり転職したりしてく。でも会社としては凄い成長を続けてるし、会社に残った人達も滅茶苦茶優秀なんだと思う。リクルートはまさにコミュニティ運営のような新陳代謝をしながら会社を成長させている例なんじゃないかなぁ。

外部から聞いたりしてるだけなので、実際のリクルート社がどうなのかわからないけど、リクルート関係者はみんな優秀なイメージ。